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入院準備用品のオンラインショップを運営する「はあとふる」の店長日記です。
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特発性血小板減少性紫斑病2の続きというか、ちょっと経過がすっ飛んで、最近の話です。

この病気にかかったのは私の父です。 もう3年前になります。

先日、その父が我が家に遊びに来ました。

とても顔色もよく、血小板の値も正常値だそうです。

今年で70歳になる父です。

あの時、命の危険にさらされた父。
でも、適切な処置ができる血液内科の先生がたまたまいらっしゃったおかげで、こうして今も元気に暮らせています。

ただ、入院期間が長かったのと、入院したときの年齢がもう結構年だったこと、出血の恐れを回避するために絶対安静だった時間がながかったために、足が悪くなってしまいました。

特発性血小板減少性紫斑病が直接の原因ではありません。

ただ、足の筋肉が一気に衰えてしまったのが原因です。

そのため、歩くのは歩けますが、ちょっとずつ、ゆっくりゆっくりペースです。
オートマなら車の運転はできるようです。

若いころはよく歩いていた父ですが、やっぱり思うように動かない足のために、あまり歩かなくなってしまい、余計に足が動きにくくなっているみたいです。

高齢者の入院というのはこういうことがあるんですね。
予防策というのを病院でもちゃんと聞いて、リハビリも根気よくすればよかったのですが、大病をした後でなかなかそういう気分にもなれなかったのかもしれません。

近くにいて励ましてあげられたらよかったのですが、私自身の生活もあり、そうもいきませんでした。

でも、今もこうして元気に過ごせている父を見て、よかったなぁと素直に思います。
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今日は、本題から外れて、日記風な記事です。

私は、この「カヴァレリア・ルスティカーナ 間奏曲」が大好きです。

だいぶ前に、竹内結子と中居正広が出ていたドラマ「白い影」の最終回のシーンに使われていて、涙涙でした。

どんな環境でも、状況でも、聞くたびに心が震えるような美しい旋律です。
聞いたことがない方は、ぜひ一度、どうぞ。


今日は、具体的な病気とはちょっと関係ないお話です。

入院準備用品のオンラインショップ はあとふる

病気や怪我で入院するとなると、慌てて準備をしなくちゃいけなくて大変ですよね。
家族がいれば、あちこちに買い物に行って揃えてくれるかもしれませんが、それでも、家族の方も大変です。

私も、出産の時は楽しみながらじっくり準備できたのでよかったのですが、病気で入院したときや、家族が入院したときは、いろいろ揃えるのが大変でした。

そんな思いを形にしたくて、インターネットで入院の準備ができるショップを作ったんです。

あちこちお店を回らなくても、なるべくこの入院準備用品が揃うサイトでいろんなものが揃うように。

最近では、病棟でネットをしてもOKという病院も増えてきているので、病院からインターネット通販を利用している方も多いと聞きます。自分で選んで、自分で買って、病院に届けてもらえたら、患者さんも便利かな?と思うんです。

パジャマや浴衣、部分麻痺が残った方、リハビリ中の方が使えるような特殊なペンや便利グッズ、舌癌・口腔がんなどの手術の後に役立つスポンジ歯ブラシ、暇つぶしアイテム、ワンセグ、DVDプレーヤー、ゲームなど・・・多岐にわたって紹介しています。

まだまだ、品揃えは充分ではありませんが、こつこつと、患者さんに役立つアイテムを増やしていきますので、もしよろしければ見てやってください。

入院準備用品のオンラインショップ はあとふる

はあとふる 商品一覧

お探しの商品が見つかるとうれしいです。
出産時の弛緩出血3の続きです。

出産直後の大出血の時よりは回復していたし、出産後の疲労なんてみんなこんなものなんだろう、と勝手に思い込んだり、他のお母さんが夜中もずっと赤ちゃんと一緒に寝ているのを見ていたら、「私だって頑張れる」そう思っちゃったのです。

だけど、母乳は出ない、自分はフラフラ、赤ちゃんはお腹がすいて泣きまくり・・・夜中の間、ずっと、赤ちゃんを抱っこして病棟の廊下をぐるぐるまわって寝かせようって頑張ってました。

先生も看護士さんも、何にも言いませんでした。「無理しないでね」という以外。

でもね、無理ってどういうことか、わからないんですよ。出産なんて経験したことが無いから、出産後の身体にとってどこからが「無理」でどこまでは頑張らなくちゃいけないのかが・・・

「ちゃんとママにならなくちゃ」「ちゃんと育てなくっちゃ」そんなプレッシャーを自分にかけてしまったのです。

弛緩出血のおかげ?で、入院代のうち5日間は生命保険の入院給付金が出ました。
逆に考えると、入院しなきゃいけない状態だったってこと。

それほど怖いものではないけれど、ちゃんとゆっくり休養しなきゃいけなかったんです。
それがわからないくらい、出産って舞い上がっちゃうイベントなんですね。

精神的にも、身体的にも、そんなに強くない私にとっては、理想と思っていた24時間母子同室がプレッシャーになってしまった・・・

メンタル的な不安をお持ちの方は、昼間だけ同室、夜はゆっくり休養、というポリシーの病院のほうが安心です。私は、この後、産後うつになってしまいましたから・・・
舌癌の続きです。

手術することが決まったものの、入院するまでにはいろいろな検査が行われたそうです。とにかくその検査の多さに辟易し、疲れきっていた様子でした。

でも、検査にはもちろんそれぞれに意味があるわけで、まず患者さんはそれを乗り越えなくてはならない。そして、手術への不安や、完治するのか?という不安、焦燥感、怒り、苦しみ・・・いろいろな感情がないまぜになって、少し混乱しているようにも見えました。

入院するまではまだ、社会生活を送ることでなんとか気を紛らわせている、という感じでしたが、入院してしまうと、目にするのは同じがん患者さんばかり。しかも、手術後の患者さんも多くいらっしゃるので、嫌でも自分の手術後を想像してしまい、現実を見せつけられて、希望を失ってしまうようでした。

でも、患者さんに「あなたは一人ではない、生きることをみんなが望んでいる」ということを周囲の人々が、言葉ではなく、態度や行動で伝え続けることが、患者さんに力を与えてくれるんじゃないかと私は経験から思います。

お見舞いが誰も来ない他の患者さんがいらっしゃいました。
でも、その患者さんは、同室のほかの患者さんのお見舞いの方が来るたびに、笑顔で挨拶をしてくださり、「お見舞い、がんばってますね!」とこちらを励ましてくださったりしていました。
そして、こちらのほうもだんだんその患者さんのことが気になるようになって、「体調どうですか?」「何か買ってきたほうがいいものあったら言ってくださいね」と言える仲になりました。

これは、その誰もお見舞いに来ない患者さん自身が行動した結果、その患者さんには誰よりも多くのお見舞いの方がいらっしゃるようになった、という話です。もちろん、お見舞いに来ている方から見れば、はっきり言ってその患者さんは「ついで」かもしれません。でも、その患者さんは、「うれしいなぁ、僕のことまで心配してくれて~。でも、皆さんからパワーもらってるから大丈夫!」と仰っていたんです。

この患者さんの言葉は本質を突いていると思うんですね。
周囲の人のパワー、生きる力、そして患者さんへのさりげない心配り、そうしたことが患者さんに「自分も生きなくちゃ!」と気づかせるきっかけにつながると思います。

告知され、検査を受け、手術、そしてその後の長い闘病生活、退院後のリハビリ、生活・・・
がん患者さんは、本当に長い間、自分の命への不安を持ち続けることになります。
だからこそ、ご家族やご友人の方も一緒に、ひとつずつ乗り越えていこうという強い意思を持つ必要があると私は思います。

そして、周囲の方が悩みすぎて、鬱になったり、体調を崩さないように注意してください。

患者さんは「自分のせいで・・・」と自分を責めてしまいます。
患者さんのためにも、周囲の方々は、頑張り過ぎないように、相談できる人を作るようにしてくださいね。

つづく
出産時の弛緩出血の続きです。

人間は2リットル以上出血すると、危険な状態になると聞いたことがあります。
でもその時は、そんなことはまったく知らず・・・

朝5時半ごろ出産して、鉄剤やら点滴やらご飯やら、バタバタしているうちに、だいぶ回復してきたように思いました。もちろん、ちょっと眠ったりもして。

私が入院した病院は、自然分娩・自然育児をモットーにしていたので、生まれた時から赤ちゃんはお母さんのベッドの横に小さい赤ちゃん用のベッドを置いて、常に一緒にいられるようにしてくれる病院でした。24時間母子同室ができる病院だったのです。

でも、後になって考えると、これが私にはかえって負担になったのです。

もちろん、24時間母子同室とはいえ、お母さんの体調が優れなかったり、眠れなかったりしたら、赤ちゃんを預けることもできるんです。

でも私は、頑張っちゃったんですね・・・

つづく
特発性血小板減少性紫斑病の続きです。

緊急入院後、叔母から「危険な状態だから、できたら早めに帰ってきて」と連絡が入りました。
帰ってきて、と言われても、東京から1000km近く離れている田舎へ、です。

その時はまだ、特発性血小板減少性紫斑病かどうか、はっきりしていない状態でした。

とにかく、血小板の値がとてつもなく低く、ちょっと出血したら血が止まらなくなって命が危ない、という状況でした。

血小板というのは、出血時に血を止める働きをするのです。
ですから、血小板が少なければ止血ができなくなります。

こうなると、検査もほとんどできません。注射も非常に危険。点滴だけで、なんとか血小板を増やすべく、対処療法しか取れないとのことでした。

父は絶対安静を命じられました。
転倒したら、命にかかわるのです。
脳内出血や内臓出血も、絶対に回避しなければならない容態でした。

後から聞いた話ですが、入院直後は顔や身体に紫斑(あざのようなもの)が多数あらわれ、叔母は「もうダメかもしれない」と思ったそうです。

幸いにも、入院先の病院に血液内科専門の先生がいて、「特発性血小板減少性紫斑病」についての知識があったため、特発性血小板減少性紫斑病を念頭に入れた治療をしてくださったようです。

つづく・・・
私が娘を出産した時のことです。
初めての出産にしては、破水からスタートしたこと以外は、順調に進んだ出産でした。時間も11時間半でしたから、安産だったと思います。
無事、生まれてくれた赤ちゃんに初乳をあげながら、自分の身体が熱いなと感じたのを覚えています。
何か、分娩室の空気がバタバタしてるなと思ったのは、赤ちゃんの体重量るからと赤ちゃんを連れていかれてからです。
私の熱は、39度近くあり、血圧が低下、看護婦さんから『出血が多かったから点滴しますね』と言われ、2本、点滴を受けました。
約2時間後に、分娩台から降りて病棟に行くことは、あらかじめ聞いていた流れでした。
たいていは歩いていけると聞いていました。
そして聞いていた時間になり、起き上がろうとして、自分の異変に気づいたのです。

『ムリ…』
私は分娩台から降りることができず、分娩台に倒れ込みました。
すぐに車椅子が用意され、看護婦さんに抱き抱えられるように車椅子に移されましたが、座っているだけで目がまわり、吐き気を感じ、目の前が真っ白になりました。
結局、病棟までたどり着けず、陣痛室に舞い戻り…。
点滴を受けたまま、朝食を少しいただきました。

出産時の出血量は1100ml。
でも、本当に辛かったのはその日の夜からでした。

つづく…
私の知人(男性)が舌がんとわかったのは、25歳くらいの時でした。
最初は、口内炎のひどいもの、くらいに思っていたようで歯医者に行ったものの、すぐに総合病院に行くように言われ、緊急検査、悪性の可能性、しかもかなり進行している可能性ありとわかりました。
その病院では対処できないとのことで、紹介状やレントゲン、MRIやCTの資料を渡されたそうです。
 
私がその話を聞いたとき、まず調べたのは、余命でした。進行度からみて、5年生存率は20パーセントでした。
そして、舌がんは若い男性がかかるのは非常に珍しいこともわかりました。

知人は北海道の生まれで、地元に帰って治療したいと言っていましたが、本屋で調べてみると、舌がんの臨床数は国立がんセンターと慶應病院が圧倒的に多く、地方の病院で果たして症例数の少ない若い患者を救うことができるか、不安に思い、東京で治療したほうがいいのでは、と勧めました。

当時、慶應病院は放射線治療を積極的にすると言われ、癌センターは外科手術をすると言われていました。

知人は、がんセンターを受診、ステージ4の進行性舌がんと診断され、入院しました。

治療は、外科手術が選択され、舌は全摘出、患者自身の太ももの筋肉と皮膚を移植して舌があった場所をふさぐ形成手術と、首のリンパに転移したがん細胞を摘出するためのリンパ郭清術が行われることになりました。

舌の全摘は、味覚、嚥下(飲み込むこと)、会話に障害を残すのは間違いないと言われたそうです。

とてつもない現実に直面した知人は、何となく、事実を受け入れられていないような感じがしました。

もちろん、わかってはいるけど、自身のこととは思えない、といったようで、周囲のほうがあたふたしていたように思えます。

こういう時、患者さんの思考は混沌として、正しい判断ができなくなることもあります。

私は、
・納得ができなければセカンド・オピニオンを聞くこともできること
・障害が残っても、あなたの家族はあなたに生きてほしいと願っているに違いないこと
を、繰り返し伝えたように記憶しています。

続く…
私の父は65歳を過ぎて、突然、特発性血小板減少性紫斑病という難病を患いました。
ちょっと体調が悪そうだな、と思ってたんですが、家族で日帰りでドライブに行くことになっていて、父もついてくると言うので一緒に行ったんですが、目的地に着いた矢先に、失神して倒れ、救急車で運ばれました。
真夏日だったのでその時は熱中症と診断されましたが、一週間くらい後、かかりつけの病院で血液検査をしたら血小板の値がありえないくらい低く、その日のうちに総合病院に緊急入院しました。

長くなるので、続きはまた…
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